「お姉ちゃんでしょ」と言われて育った私の自分の親との価値観の違い
どうも、
「ママが楽しければ子供も楽しい」と
ポリシーに
ママが楽しめる記事を
書いていきたいうと(Follow @uto_market)です。
今回は
長子あるあるの
「なりたくてお姉ちゃん(またはお兄ちゃん)になったわけじゃない問題」
について。
私が常日頃から感じている
自分の両親についての思い。
長女として
物申したかった幼少時代。
なりたくてお姉ちゃんになったんじゃないわい!
ということについて
語っていきたいと思います。
でははじめ♪
私はthe長女。長女を地で行くタイプ
まずは私のことから
軽くお話します。
私は上にも題にもあるように
the長女。
いわゆる世間一般の長女イメージ
- しっかりしている
- さすがお姉ちゃん
- わがまま言わない甘えない
これをリアルに地で行っているタイプ。
なりたくてこうなっているわけではなく、
気づいたらこうだった。
というのが正しいです。
私の母の
うちの長男に対しての対応を見ると
そう育てられたのだろうなと思っています。
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「お姉ちゃんでしょ」と縛り付ける両親
私が長女らしく育ったのには
ひとえに両親の
「お姉ちゃんなんだから」
という呪文を受け続けた結果じゃないかと
思っています。
なにかにつけて
「お姉ちゃんでしょ?」
「お姉ちゃんなんだから」
「お姉ちゃんなのに」
一種の洗脳でしょうか??
「お姉ちゃん=我慢しなければいけない生き物」
なんだと刷り込まれました。
記憶に残っているのは
「姉だから(我慢しなさい。
良い子でいなさい)」
とあまりに言われるもんだから
「○○ばっかり贔屓してる!!
どうせ私なんてどうでもいいんでしょ!」
ってついにブチ切れて言ったこと。
多分小学生低学年の頃…
母には
「贔屓じゃない」って
言われたけど、
私からしたら贔屓以外のなんなの?って
思っていた気がします。
こうやって
「お姉ちゃんでしょ」という
呪文に縛られて育った私は、
両親に甘えることもなく、
長女らしくソツなく、
両親が困らないように生活していきます。
反抗期がすさまじい
「長女」ワードに縛り付けられた結果、
その反動でしょうか。
小学校高学年〜中学生くらいの頃の
反抗期はかなり凄まじいものでした。
こんなにひどい反抗期ってある?って
くらい荒れに荒れました。
そんな中、
母が放った一言。
「あんたとは合わない」
これ、めちゃくちゃショックでしたね…
ああ、私なんていらなかったんだなって感じました。
自分でも「こいつ…」って
思うくらい、
たしかに可愛くなかった時期では
あったのですが、
母から言われると
もういいや…と
諦めたような気持ちになりました。
父は?
というと
うと家の父親は
「昭和の男、
男は黙って働き、
女は家庭を守るもの」
というタイプ。
一切子育てには
関わってきませんでした。
一切、と言ってしまうと
父なりにやってきたよ…って
思うかもしれませんが、
父と出かけたとか
何かを買ってもらったとか。
そういう記憶は
ほとんどありません。
いざという時に
怒られるようなことはあったけど、
私の中で父親は
「子供に興味がない人」と
思っていました。
暴力は振るわないけど、
その分プラスのこともないので…
お金を出せばいい。
って思っていたのかなって
思います。
社会人になり、
自分が養う立場になると
支払ってきた金額の大きさとか
ありがたいと感じることはあるものの、
距離は縮まらず。
やっぱり
育児に参加していなかったツケは
大きいですね。
……実は私の父も母も
末っ子なのですよね。
私の気持ち、
長子の苦しみのようなものは
一ミリも
理解できないのだなと思います。
うと家の次男だって要領いいし、
甘え上手ですから
二人目がかわいいって
気持ちはわかるんですけどね…
一人目はその差を肌で感じます。
私自身、
対応の差に
ずっとずっと心のどこかで
苦しんできました。
「アナと雪の女王」を見ると長女の気持ちがわかる
「私も末っ子だし
お姉ちゃんの気持ちがわからない…」と
いう人は
大人気のディズニー映画
「アナと雪の女王」が
とてもわかりやすい。
これ、長女は
「わかるーーーー」って
共感する部分があると思います。
両親が小さい頃に亡くなり、
王家を継がなくてはいけなくなった姉妹の姉のエルサ。エルサには魔法の力が宿っており、
昔からその力をひた隠しにしてきた。そんなことは知らず、
無邪気に姉を慕うアナ。エルサが力を隠すことに苦しんでいる戴冠式の日に、
アナは「運命の人」と出会い、
結婚するとエルサに言う…
この下りだけでも、
長女と次女の違い、
めちゃくちゃ出ていますよね。
エルサとアナの違いは以下。
エルサ(姉)
- 王家を継ぐ=責任感
- 力を隠す=両親に言われたことを守る(=悲観的)
- 表情は憂い
- アナを守らなければいけないと思っている
アナ(妹)
- 寂しがり屋
- いつも快活で戴冠式も楽しみにしている(=楽観的)
- 表情は笑顔
- 運命の人と結婚できると思っている(=自由奔放)
いつも笑顔で
ちょっと失敗をしても
笑って許されるアナ。
真面目に魔法のことを隠して苦しみ、
責任感にも耐え、
さらには
王家を継ぐという重圧にも
一人耐えているエルサ。
そりゃね
日々耐えている中である日
「お姉ちゃん、この人と結婚する!」
なんて言われたら
長女的にははい???って
なりますよ。
私が耐えに耐えて
我慢しているのに、
何を言ってるんだ…??ってなります。
エルサは結局魔法が発覚して
国を出ていってしまうのですが、
すべての責任や重圧から離れたエルサは
妙にすっきりした表情をしており、
長女としては
「このままそっとしてやっておくれ…」と
思ったりも、
したのです笑。
第二子以降にはない
「ちゃんとやらなくちゃ」といった
プレッシャーだったり責任感だったり、
人に甘えられないといった性質。
アナと雪の女王は
この姉妹の性質の違いを
うまく表現しているストーリーです。
「お姉ちゃんってなんでああなの」と
疑問に思う方は
鑑賞してみるといいかも。
まさに長女ってあんな感じ。
責任感で自分を不自由にして、
誰にも甘えずに
頑張り続けるのです。
孫に対しても「お兄ちゃん」と強要する私の母
いわゆる「エルサ」ばりに責任感、
長女とはこうあるべき
という姿に縛られて生きてきた私。
ぐれることもなく、
親の希望通り現役で大学に受かります笑
そして親から離れ、
東京へ。
20歳の頃に
バイト先で知り合った
うとパパと付き合うようになります。
6歳上のうとパパと
付き合うようになってからようやく、
人生でようやく
「人に甘えられるっていいな」と
実感しました。
心の底から自分だけを愛してくれる。
自分を100%許してくれる。
そんな相手ができて、
やっぱり長女って
しんどかったんでしょうね。
実家に帰らなくなりました笑。
まぁ、小さい頃よりは
私自身が成長したので、
母とも話したり
分かり合えるようになって
実家の居心地も悪くなかったのですが、
自分が甘えられる人がいるところが
居心地がいいなと感じていました。
彼氏ができてから
母はそりゃもう
「どうせあなたの大事なものはもう彼なんでしょ、
東京なんでしょ」と
イジケまくり、
それもまた面倒で
寄り付かないという悪循環ww
「お兄ちゃんでしょ」と連呼する母
結婚して、
母との関係も落ち着き、
2人の子供にも恵まれて
忙しい日々を送っていました。
年末はパパが忙しくて
休みの調整が難しくなるので、
1ヶ月くらい母にヘルプをします。
ここ最近…
聞いたことのあるセリフが
聞こえるようになってきました。
「お兄ちゃん!」
「お兄ちゃんでしょ!」
「お兄ちゃんなんだから」
……
どこかで聞いたセリフ。
私は自分の経験から
上の子のことを決して
「お兄ちゃん」とは
呼ばないのです。
私自身が
「お姉ちゃん」という呪縛に
とらわれていたので、
一人の人として
「〇〇」と名前を呼んでいます。
上の子を怒るときは
「お兄ちゃんなんだから」ではなく
「〇〇は6歳、
△△は3歳、
どっちが強いんだっけ」と
年齢をいうようにしています
(これが正しいのかはさておき)。
我が家では聞かない
「お兄ちゃん」というセリフ。
唯一下の子が上の子を呼ぶときに
「にーに」と言いますが、
うとパパも私も一切
「お兄ちゃん」とは言いません。
たまに来るばーばの
「お兄ちゃん!」に
そこまで気にしていないかもしれませんが…
私自身が
いや〜な気持ちになるんですよね。
「お兄ちゃんお兄ちゃんって言わないでくれ」と
以前軽くいったことがありますが、
治りません。
多分
「お兄ちゃんらしく育てることは良いこと」って
思っているんでしょうね…
って私は正直思ってしまいます。
プラスに捉えれば
私を長女らしく育てて、
「お姉ちゃんらしくて頼りになるし、良かった」って
思ってくれているのかも。
(だから私の長男にも
「お兄ちゃんらしくなってほしい」のかも)
「お姉ちゃんは心配ない」
「お姉ちゃんは
間違ったことをしない」
って口癖のように
言ってますから…
そういう意味では妹も
「どうせ私は危なっかしいよ」って
思っているかもしれません笑。
…でも、
私は長女じゃなかったら
もっともっと人生違っていたかなって
思ったりします。
長女って損だなって。
甘えられないのって
人生損しているなって。
お前は可愛くない、って
親戚からも言われ続けました。
なので、
ずーーーーっと
「私が居たいのはここじゃない」
って心のどこかで思っていた。
うとパパに出会って、
一緒に暮らすようになって
「自分がここにいていいんだ」って
自分の居場所を実感できるようになりました。
自分の子供には
「甘えられない」
「ここは僕の居場所じゃない」
って思いはさせたくないのです。
まとめ:親と子の価値観は違う。
ということで、
今回は私の両親(主に母親)についてと
「長女」として
レールに敷かれた通りに育ってきた
私自身の気持ちについてを書きました。
もちろん、
両親には両親の思いがあって、
私を「ちゃんと育てないと」という
「初めての子供」に対する気合や
プレッシャーはあったでしょう。
初めてだと
期待をかけすぎちゃったり、
分からないから
つい厳しくしたり。
でも、
私にはその「長女」としての
プレッシャーが
辛かったなぁと思います。
うと家は
「長女(うと)」と
「次男(パパ)」の
ハイブリッド夫婦なので、
お互いの良さや
特徴を理解して、
私のような思いをさせたくないなと
思っています。
私のような思いをした長女さんは
きっとたくさんいらっしゃると思います。
……まじめに考えすぎるのも、
長女の特徴ですしね。
親には親、
子供には子供の
価値観があるのですから、
気にしすぎずに
ちょうどよい距離を保つのも必要なこと。
いつまでも
親の価値観に影響されていると
自分が窮屈な思いをしてしまうので、
脱出すると
すっきりしますよ~。
では!